乱世の亡霊~どうする家康第47回感想~

どうする家康第47回を見たので感想を書いていきます。

ネタバレを含むのでご注意ください。

憧れの君

在りし日のお市は家康の中に「憧れの君」を見ており、その思いは淀殿(茶々)に継承されます。しかし家康は北ノ庄城の戦いで、お市を助けることなく静観します。お市は死に、城を落ち延びた淀殿は秀吉に保護されます。この時、家康は「憧れの君」ではなくなり、淀殿にとって憎悪の対象となりました。後に秀頼を生んだ淀殿は、秀頼こそ「憧れの君」に仕立て上げようとします。その結果、他を惹きつけてやまないカリスマ性を持った秀頼が誕生しました。まさに秀頼こそが「憧れの君」なのです。

「憧れの君」となった秀頼は、徳川の軍門に下ることを良しとせず、戦うことを選びます。母の言いなりであった彼が、初めて自分の意思で決めたのです。淀殿が、家康からの手紙を読んで秀頼を生かす道へ方向転換を考えた矢先の出来事でした。運命の皮肉という他ありません。

「どうする家康」という物語は、家康とお市・淀殿・秀頼の親子三代にわたる愛憎劇なのではないでしょうか。そうであるならば、北川景子さんがお市・淀殿の一人二役を演じられた意味が分かるような気がします。そして家康・お市・淀殿・秀頼による愛憎劇ならば、淀殿を止められるのは家康だけというのも必然なのです。

乱世の亡霊

今回の話を読み解くキーワードとして「憧れの君」の他に、「乱世の亡霊」があります。家康の手紙によれば、家康や淀殿がそうです。また「ただひたすらに戦いを求める」真田幸村もそのようです。第46話のラストシーンで戦いを欲した秀頼もまた「乱世の亡霊」になってしまったと私は思います。

「乱世の亡霊」とは、どういうものかと言うと「戦乱を求める者」ということになるでしょう。戦国武将と概ね符合しそうですが、戦国武将だけに限らないというのが面白いところです。淀殿は女性ゆえ戦国武将ではないのですが、大坂城勢力の実質的なトップであり、戦乱を求めているという点において、彼女は紛れもなく乱世の亡霊なのです。

戦乱を求める「乱世の亡霊」がいなくなれば戦国時代が終わる。そして大坂の陣とは、「乱世の亡霊」と「乱世の亡霊」による戦国最後の戦。物語の筋に従えば、大坂の陣をこのように規定することができます。今までの大河ドラマでは見られなかった新しい視点であり、非常に興味深いところです。

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