どうする家康30話感想

どうする家康30話を見たので感想を書いていきます。

ネタバレを含むため、視聴済みの方のみご覧ください。

飛ばしすぎ

はっきり言って今回の話は飛ばしすぎです。清須会議、天正壬午の乱、賤ケ岳の戦い、北ノ庄城の戦いをわずか1話で終わらせてしまいました。こんなスピードでやったら混乱する視聴者が続出すると思います。ちなみに私も織田信孝・信雄で混乱しました。どっちがどっちかよくわからんようになるんですよね。

何でこんなことになってしまったのかを考えると、ペース配分が悪かったからでしょう。家康の生涯を描くわけですから全50話で大坂夏の陣まで行かないといけません。その割にはペースが遅い。恐らく6月末の折り返し地点にどうしても築山事件を持ってきたかったのでしょう。その分、本能寺の変や伊賀越えが下半期にずれ込むことになり、天正壬午の乱は割を食ったというところだと思います。

個人的には6月末で本能寺、9月末で関ケ原というの理想ではなかったかと思います。この分だと関ヶ原は10月にずれ込むのではないでしょうか。

お市と家康

信長と家康もそうでしたが、本作ではお市と家康も相当密に描いています。家康とお市が親密だったという話は聞いたことがないのですが、本作では結婚を考えるくらいの仲になっています。そのように描きたいなら描いても構わないのですが、そうすると家康の行動に合点がいかなくなるのです。

今回で言えば、「なぜお市を助けに行かないのか?」ということになります。旧武田領の平定に力を注がねばならないとか、勝家の家臣が次々に秀吉に寝返ってるから勝ち目がないとか、もっともらしい理由があるのですが、どうも弱く感じてしまう。家康にとってお市はその程度だったのかと言いたくなってしまうのです。ほとんど接点のない関係であれば、別にお市を放っていても違和感はありません。しかし本作では親密に描いてしまった。だからいざ史実通りに進めようとした時に、違和感を禁じ得ないのです。

本能寺の時もそうでした。信長にとっての家康を無二の友として描いてしまったが故に、家康が信長を殺しに行かないのが変な風に見えてしまいました。本能寺に行かないのが史実通りであるにもかかわらずに。あれも信長対家康の関係をあまりに克明に描きすぎてしまったために、史実通りに軌道修正したら違和感が残ってしまった例です。

史実というのは要するに結果であります。この結果は歴史の教科書なりwikipediaなりを見ればすぐにわかります。しかしながら歴史上の人物がどのように感じ、考え、決断したかという過程は歴史の教科書には書いてありません。結果は書いてあっても過程は書いていないのです。この過程を描いてみせるのが、歴史物のフィクションの意義なのでしょう。本作の場合、過程を描くにあたり暴走してしまい、結果(史実)と齟齬が生じてしまっていると思います。

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